世の中のあらゆる物事には、 逆向きの要素が併存しています。
引力と斥力、 吉と凶、愛と憎、 分裂と統合、 アクセルとブレーキ、 男性と女性等々、数え上げればきりがありません。 このように物事には必ずプラスとマイナスの側面が同時に存在する、という関係を一般に「正負の法則」と呼んでいます。
なぜこのような「正負の法則」と呼ばれるものが存在するのでしょうか? それはおそらく、どちらか片方の要素だけではバランスがとれず、 活動が暴走または消滅し、 その結果、 宇宙全体が維持できないからだと思われます。
「正負の法則」が存在する理由についての別の角度からの説明は、 全宇宙の重心はそもそも動かないものなので(注)、何かが片方で働けば、どうしてももう片方で逆のベクトルの働きが生じなければならない、というものです。
(注)そもそも動きというものは自分以外の何かに対する相対的な位置の変動を意味しているので、もしも全宇宙の重心が動くとすれば、全宇宙が相対する相手は何なのか? という矛盾した問いが発生してしまいます。このため、「全宇宙の重心は動かない」という命題を設定しています。
正の動きと負の動きは重心に関して(または全体の中で)対称な動きでなければならないため、 正と負は一つのものの両極、または同じコインの表と裏 (陽と陰)の両面である、ともいえます。 そこで、片方が動けばもう一方も同時に同じだけ動かざるを得ないという原理が生まれることになります。 過去と未来の関係や物質と反物質、宇宙と反宇宙の関係などもすべて同じ状態にあるものと思われます。
ところで、以上の文章に見られるような「抽象的な」 思考そのものも、宇宙の自認機能の一つの側面であり、その反対には「具体的な」 思考というものが存在します。 世界が分化の作用から統合の作用を経て発展するのと同様に、 学問の研究も分析(analysis) により始まり、 それが統合(synthesis)されるというプロセスを経て一つの決着をみることになります。 この両者をヴェリタスでは、ズームイン型 (微視型) の認識と、 ズームアウト型 (巨視型) の認識と呼んでいます。
こうした分類にしたがえば、 ヴェリタスの研究アプローチは、主として巨視型 (ズームアウト型)に仕分けられますが、 これは決して対極にある微視型 (ズームイン型) のアプローチを軽んじるものではなく、むしろそれに支えられ、 依存しているのが事実であり、両者があいまって本当の知識が形成されるものと考えられます。