市場原理主義と経済有機体説

市場原理主義にもとづく個人主義的な競争促進政策は、個人や企業などの需要と供給側に分かれた経済主体をとにかく自由に競争させることで資源の配分が最適になされ、経済全体が効率的化する、という結論を持っています。

この考え方を徹底すると、個別主体による連帯や協力というアイデアや行為は最適解を壊すものとなり、カルテルや独占体の形成は(それが実現できているかどうかはさておき)排除されるべきものとなります。「正社員を全部非正規雇用ににせよ」などという某経済学者大臣の発言も、実はこの考え方から生まれてくるものです。

(こうした考え方を支える経済学の理論の基礎にはかなり歪んだ前提がいくつも存在するのですが、ここでは触れず別の稿で取り上げます。)

一方、経済有機体説の立場は、経済活動は全体として生物の体における活動のようなものであるとみなします。それゆえ金融や物流を生体の血流に見立てたり、情報通信網を神経回路のように見立てたりします。

経済有機体説のアナロジーを受け入れた場合、先に見た個人主義的な経済政策は、人体の各部における細胞ごとの結びつきを否定し、細胞だけをバラバラに鍛え、細胞の集合している臓器の生成を否定する考え方だということになります。

全身を巡る神経系や血管系さえ「経済的独占」とみなし解体しようとするのが、現在主流となっている個人主義的経済学の原理なのです。日本で起きた国鉄の分割や郵政の民営化の背景には、このような経済学的な考え方も存在していたといえます。

「とにかく細胞をバラバラにしてその組織化を許さない」ということになれば、人体という組織体が成立するはずもなく、存在するのは、あてどなく地を這うアメーバのような単細胞生物だけということになります。そこには強いアメーバ、弱いアメーバという力の格差が必ず生じてくることでしょう。

果たして、人間という生物は生まれてから死ぬまでそのようなバラバラな状態で生きるべくこの地球上に生まれてきたのでしょうか?あなたはどう思われますか?

現在の経済学は近代以降、物理学のモデルに憧れ、それを真似て作られてきました。その過程でこのように生命体のあり方を顧みない理論体系を作り上げることになりました。現代の経済政策がうまく働いていない根本的な理由がここにあります。

経済も生命現象の一つであるとすれば、それを生命として扱う理論でなければうまく応用ができないのは当然と言えます。そのような理論は、物理学というより、生物学や医学のような体系をモデルにすべきであると考えられます。

現代経済学の枠組みを作った一人である経済学者のマーシャル(ケインズの師匠)は、「経済学は、将来的には物理学的なモデルから生物学的なモデルになっていく」と予言していました。その先見の明には驚くものがありますが、今こそそのアイデアが具現化されることが求められています。

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