交換経済と循環経済

現代の経済のあり方は、価値の等しいモノとカネとを交換する交換経済が主体となっています。これに対して、モノやカネを“交換“するのではなく、それらを“循環“させるという経済のあり方が考えられますが、これを循環経済と呼ぶことにします。

交換経済と循環経済とならベてみると、それぞれまったく別の経済原理のように思えますが、じつは両者とも、個々の主体が「他者からもらい、かつ他者に与える」という意味では共通の要素を含んでいます。まったく物資の流れのない経済は考えられませんから、これは当たり前といえば当たり前のことです。

そこで、両者の違いの本質はどこにあるかを考えてみると、交換経済では、「誰かに何かをもらうと同時に、くれた相手に対してその相手が喜ぶ何かを与える」という、きわめて厳格なルールが敷かれているのに対して、循環経済では、「誰かに何かをしてもらいつつ、別の誰かが喜ぶ何かをすればよい」という、相当ゆるやかなルールが適用される点にあるといっていいでしょう。

すなわち、循環経済においては、交換経済のように「くれた人にお返しをする」のではなく、「他から利益を受けながら、自分のできる貢献を他人または社会に対してなす」ことで足りるのであり、そのタイミングも必ずしも同時でなくてもよいという点が、利益を受ける人間にとっては「ゆるい」扱いになるのです。(いわゆる「ペイ・フォワード」=「恩送り」の世界です。)

こうした違いを考えると、どちらの経済原理の方がより自由で柔軟であり、そして(おそらくは)人間にとって幸せであるかは、自明であるように思われます。

私たちは、学校などで「貨幣の発明が人類の経済を飛躍的に発展させる要因になった」と習ってきました。貨幣を用いない物々交換では、自分の欲しいものを相手が持っているだけでなく、相手の欲しいものを自分が持っていなければならないという「欲望の二重の一致」がなければ取引が成立しません。交換の仲介物として貨幣を利用することで、人類はこの束縛を免れることができ、取引が活発化するようになったのです。

しかし、この貨幣経済が発展して行きついた現代の世界がどのようなものかというと、世界の上位1%に当たる富裕層がもつ資産が世界全体の4割近くを占める一方で、下位50%の層のもつ資産は、全体の2%にしかならないという、極端な貧富の格差からなる世界です*。(*NHK NEWSWEB (https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211227/k10013406141000.html)

私たちは、近代以降の歴史を通じて、特に都市部においては、貨幣を媒介とする交換経済を当たり前として暮らしてきました。しかし、近代以前の時代や、今日でもとくに田舎においては、お金を介さず、さまざまな物資を必要に応じて互いに融通しあう近所付き合い、慣行も存在してきました。「古き良き時代」という言葉がありますが、このような家族を超えた関係においても自然に融通が行われることは、人間的な潤いのある経済とみることはできないでしょうか。

ちなみに、自然の摂理にしたがう人間の体内では、各臓器はそれぞれ必要とする栄養成分を貨幣を通じて交換しあうことはありません。必要な栄養分は、ただ必要にしたがって、自然に循環しているのです。これにより生物体は、交換を原則とせずに最高の効率を達成しているのです。

私たちは、長い間、交換経済こそが唯一の経済の姿であり、それがなければ世界は回らないと思い込んできました。また、経済学の教科書は、交換をベースにした自由な競争こそが、資源の効率的な配分をもたらすと教え続けています。しかし、自然のあり方に照らして見る限り、実際には、交換経済ではなく循環経済の方がより調和的で持続的なシステムであるとも考えられるのです。

このような自然な経済の循環の実現を阻み、貧富の差を拡大させているものは、現代の経済の制度や法律であるかもしれません。しかし、それをもっと掘り下げていくと、その背景には長い歴史を通じて起きた人間の世界観や意識のあり方の変化がありそうです。

この人間の意識の歴史的変化の問題については稿をあらためて取り上げて考えてみたいと思いますが、とりあえず、私たちは今、現在の経済に見られる諸々の矛盾を克服し、21世紀の新しい経済のあり方を模索するにあたって、現在私たちの頭に存在している「交換経済が当たり前である」という無意識の固定観念に気づき、それを一度外してみるところからスタートしてみてはどうでしょうか?

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