「気づき」という言葉から、人はどんな印象を受けるでしょうか?
「気づき」とは、一般に、「それまで見落としていたことや問題点に気づくこと」などと説明されます。
「気づく」という単語を使わずに、私なりにこれを表現してみると、「気づき」とは、「今までなかったものの見方や解釈に通じる窓が心に開かれ、その奥にある何かをつかむこと」ということになります。
通常、「気づき」のことを心の小さな変化とのニュアンスで用られるケースが多いようですが、色々な経験や対話を経て、実は、気づきこそが人間の成長である、という考えが私の中で定着するに至りました。
ヴェリタスビジョンが運営する「氷解塾」では、「気づく」ことを、「今まで埋没していた世界から抜け出し、それまでとは違った視点を獲得すること」と表現しています。
それは、今まで見えていなかったものが見えるようになるという意味で視野の拡大であり、言い換えれば、それは生きる世界の広がり、意識次元の上昇ということでもあります。
従って、どんな小さな「気づき」であっても、それはそのまま人間の成長なのであり、気づくことはそれだけでとても喜ばしいことだといえるのです。
多くの人は「学ぶことは新しい知識を得ることである」ととらえているかもしれませんが、知識を身につけることは脳内のデータの増加にすぎません。それを道具として何かの役に立てることはできますが、知識を得ることだけをもって人間の成長ということはできません。
これに対して、気づくことは、今まで埋もれていた世界の外に自分の頭を飛び出させることであり、それによって新たな視座を得ることですから、そのプロセスを経ることで、世の中の仕組みをより広く深く知ることができるようになります。それを「認識範囲の拡大」と表現することもできるでしょう。
世の中で生きる術を身につけるには知識が必要ですが、一方、人として成長していくためには、日常の気づきに注目しそれを大切にしていくことが重要だと思われます。
気づくことは「今まで埋没していた世界から抜け出す」ことですから、それはまた、今まで積み上げてきた知識から脱していく「アンラーニング (unlearning)」と同様の効果をもっています。「気づき」も「アンラーニング」も、ともに古い自分から脱皮していくことを意味しています。
さらに、人間の意識は層をなして存在し、深いレベルで人々の意識はつながっていると解釈する深層心理学のモデルに照らして考えるならば、気づきとは意識の深まりであると同時に広がりでもあり、深い意識に到達することで世界を捉える視野が広がり、さらにはあらゆる物事の浅い・深いの差を感じ取ることができるようになっていくことがわかります。(より詳しくは氷解塾でお話ししています)
「気づき」とは、新たな視点の獲得であり、心の窓を開けることであり、生きる世界が広がることであり、意識次元が高まる(深まる)ことであり、認識範囲の拡大であり、アンラーニングのプロセスであります。
そうであるからこそ、気づきとは人間の成長そのものであると言えるのです。私たちは、日々の気づきを大切にしていきたいと思います。