意識はどこから生まれるのか?


「意識はいつどこで生まれるのか?」という問題の答えは、なかなか見つかりません。
「生命はいつどこで生まれるのか?」という問いも同じです。

でもこれらの難問に対しては、「それらはどこからも生まれない」「初めからある」という答え方もきっとあると思います。(このような考え方を、場合によっては「唯心論」とか「汎生命論」などと呼ぶこともできると思います。)

もしこれらの考えが正しいとするならば、古くからある上の2つの難問に簡単に答えが出てしまうとともに、「なぜ科学者がいつまでたってもこれらの起源を説明できないのか?」という謎までもついでに解けてしまうことになります。

なぜなら、このような問いは、そもそも最初から答えが見つかるはずのない問いだったのですから。(笑)

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よく考えてみると、「物事には初めと終わりがある」という考え方は、実は人間が作ったものにすぎません。

実際には、あらゆる現象に時間の切れ目はなく、時は永遠に流れ続けています。なのになぜ人間は、いつも物事に初めと終わりの区別をつけたがるのでしょう?

それは、そのように考えた方が世界の様々な出来事を物語としてとらえやすいからだと思います。分けたり区切ったりすることが、世界の理解を容易にするからです。

つまり、人間は世界のことを「分かりたい」がために、世界を「分けてきた」、そんな存在だということなのでしょう。

このような性質を持つために、歴史を通じて、概念上、物事を分割する作業を続けてきた人間。

それは最初は色々うまくいったのだけれど、分割して考える対象を本来分割することのできない自分の起源に対してまで当てはめようとしてしまったことで、「難しくて解けない謎」のトラップにはまってしまいました。

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世の中には、「最初からある」ものがあるのだという発想を持ってみることは面白いことです。

人間がもつ「ものを知りたい。分かりたい」という好奇心自体も、「最初からある」ものの一つです。

その性質は実際、意識とか生命の中に本質的に備わっているものであり、それが人間という生物の中に宿っているのだと考えれば、様々なことに説明がつきます。

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「最初からある」という考えは、一般に馴染みにくいものかもしれません。しかし最近は、哲学者や科学者の一部からも「時間は本来存在しない」という見方も生まれてきています。「時間は人間の認識にすぎない、思い込みに過ぎない。」というわけです。

もし時間が存在しなければ、物事に初めも終わりもありようがありません。「すべては今でしかない」という考え方にもつながっていきます。

「時間は存在しない」という考え方もまた、「意識や生命はいつ誕生したのか?」という謎を消し去ってくれる一つの有力な視点となるでしょう。

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「ビッグバンの以前から生命や意識は存在し、すべては永遠の今に存在している。」...このような考えはとても安心できる考えです。なぜならば、
「すべては本質的に滅びることはなく、形を変えて変転しているだけである。」と、そういう話になるからです。

唯物論や生死論は、あくまで物質的な現象世界に視野を狭めた世界観であり、それらは人の心を不安にする性質を持っています。なぜかというと、それらは「滅び」の概念を内包しているからです。

これに対して、唯心論や汎生命論は、そのような不安を払拭し、安心を生む考え方です。すなわち、

「すべては意識である。すべては変化するけれど、滅びることは決してない。すべてのことは、表面的にはいつか消え去るように見えるけれど、その本質を支える力は決して滅することはなく、それは形を変えて永遠の今に生きているのである。」

と、そういう話になるからです。

私たちの考え方のパラダイムシフト。安心を生むパラダイムシフト。
それは、あともう少しで始まる予感がしています。

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