気づきの"賞味期限"

気づきとは人間の成長そのものである、と前に書きましたが、ある時点で大切だった一つの大きな気づきも、やがて時間が経つと、心に留める言葉としては手放すべきときを迎えます。

なぜかというと、その気づきはすでに血肉化し、自分のものになったので、生命というものの働きによって、人は新たな成長を果たすために、さらに前に進んでいくようにできているからです。

川の流れが滞る場所では水が澱んでしまうように、人の心もある段階で成長が止まってしまうと、生命が輝けなくなってしまいます。そうならないために、生命のモーメントは、つねに私たちに新たな成長の機会を提供し続けてくれています。

生命の本質は"変化"です。これを"進化"と呼ぶ場合もありますが、なぜ生命の本質は"変化"だといえるかということは、変化のまったく存在しない世界を想像してみるとわかります。

変化のまったく存在しない世界は、全てが静止した、時間のない世界です。それはまた完全に無音、無光の闇の世界でもあります。なぜかというと、私たちが感じる音も光も"波"であり、波が現象化するためには時間の存在が必要になるからです。それゆえ、変化のない世界は、まさに"絶対死"の世界です。

変化のある世界はこれと正反対の世界ですから、変化が存在することこそが(広義における)"生"の世界の特徴である、ということができます。

したがって、一つの気づきにこだわり、それ以上の進歩を不要と考えることは、自己満足からくる停滞というだけでなく、生命の法則に反するあり方である、ということになります。「自分は大切なことを知ったから、もうこのままでいい」という段階など、本来存在しません。

生命の流れは、人にいつも新たな気づきのきっかけを提供してくれています。しかし、人生は無限の成長プロセスであるということが本当に理解されていないと、人はある大きな気づきを得たことによって、かえってそれ以上の成長が妨げられることになります。これはたくさんのことを学んだ人にありがちな罠であるともいえるでしょう。

一つの気づきを心ゆくまで味わい、それを自分のものにした後は、それを手放してまっさらな気持ちで前に進んでいく。このような姿勢でいることは、生命の動きとともにあるということです。それによって、人はいつも新しく輝いて生きることができると思うのです。

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