問いが間違っているとき

いくら頭をひねっても、どうしても答えが出ないーーそんな問いにあなたは直面したことはないでしょうか? そんな時、よくよく考えてみると、その問い自身が間違っているケースがあります。

「答えが間違っている」のではなく「問いが間違っている」とは、一体どういう意味でしょうか? それは、その問いの前提となっている考え方に誤りがある、ということです。

いくつか例を挙げてみましょう。

(1)相手を変えてあげたいと思うけれど、どうしたら変えられるのかがわからない、という場合。

この場合は、「自分が相手を変えられる」という考え自体が間違っているといえます。そもそも人は自分で気づかない限り変わらないのものです。そうであるならば、自分を変えることだけを考えるのが実際的です。

(2)科学者が、生命がいつ生まれたのかわからない、という場合。

この場合、「歴史のある時点において生命が生まれた」という考え自体に誤りがあると思われます。

個体の生死は別として、生命そのものは変化するエネルギーという形で宇宙の初めから存在しているといえます。したがって、科学者が「生命がいつ誕生したか?」を解明しようとする作業は、実際には、その研究者が自分の好みによって選んだ「生命と非生命」の線引きと、それに基づく時代の切り分け作業に他ならない、といえます。

(3)自分がなぜこんなにも不完全なのか?と自責の念にかられる場合。

この場合、「自分というものが独立して存在している」という考え自体が間違っています。 自我の観念は、実際には個人の思い込みです。自分と他者との間に境界というものは実在していません。そもそも、すべての境界線は人間の頭の中にだけあるものであり、存在しているのは全体としての宇宙だけであるからです。

(ちなみに、数学でいう”線”には幅がありません。もし”線”に幅があればそれは”面”であるということです。”線”に幅がないということは、数学的な意味ではどのような”線”も、実際には存在せず、人間の頭で考えた便宜的な概念であるということです。)

美しく完成されているジグソーパズルのピースを一つだけ取り上げて「こいつは不完全だ」と責め立てる人間はどこにもいませんね。それと同じで、全体として完全となっている宇宙の一つのちっぽけなピースにすぎない1人の人間を取り上げて、その不完全さをあげつらっても、意味のないことです。それぞれのピースが部分としての特性を素直にそしてフルに発揮していけば、全体が美しく輝いていくのです。

以上は限られた例ですが、あなたもこれらに似た間違った問いを発することで、頭を悩まし続けていたりしてはいないでしょうか? そんな時はぜひ、その問いを成り立たせている前提にある考え方を探ってみてください。そして、もしその中に必ずしも正しいとはいえなさそうな思い込みによる前提があれば、一度その前提を外してみてください。そうすれば、長年あなたを悩まし続けてきた問題が、まるで幻のように消えてしまうかもしれません。

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