情熱と震動

先日親しい友人と話す機会に恵まれ、私たちのしたいことは(フィールドは違うけれど)自分たちの組織の量的な成長ではなく、それが起こす"運動"の広がりであり伝播だよね、という話が出たんですね。

氷解塾が取り組んでいるのも、まさに「思い込みを溶かして自由になる」”運動”であって、それぞれの立場で自由に生き生きと生きられる人を(オセロゲームや映画『マトリックス』に登場したエージェント・スミスのように)次々と増やしたい、というところに願いがあるのであり、組織ビジネスとしての拡大が目標の第一にあるわけではありません。

この運動を”ムーブメント”と呼ぶ人もいます。それを起こすのに必要なのは、核となる人たちの”震動(振動)”であると思うのです。

これを”情熱”というふうに表現することもあります。氷解塾も氷のように固まった固定観念や制約意識を溶かしていくので、温かい熱量を持って活動しようとしています。

しかし、情熱をあまり激しく燃やすぎると、周りの人が火傷をしたり、間もなく自分自身が燃え尽きて"真っ白な灰"になってしまうかもしれません。

そこで、私は激しい情熱の燃焼よりも絶えざる震動の継続によって、この運動を広げていきたいと思います。

ここで「私」という表現を使いましたが、実際には「私」というものは本当は存在せず、単に震動する器に名前がついてあるだけだと思っています。

そしてその震動も、実は、自分とは別のより大きな震源からくる振動を受けて共鳴しているだけに過ぎず、自分が発信源になるというよりも、むしろ中継点ないしブースターとして震えているのであり、その震えを歪みなく発揮したいと思っているだけなのです。

SNSやニュースを見ていると、このような中継点やブースターに相当するような人々が、今、あちこちに登場してきているのがわかります。

そしてその震動エネルギーの震源はおそらく共通しているのだと思うと、今後起きるであろう大きな社会全体の変貌へのワクワク感を押しとどめることができないのです。

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